無題

小学三年生の時、幼馴染の家が柴犬を買った。子供というものは恐ろしいもので、感情が全てなのだ。だから今、24歳も終わろうという2022年の正月にこんな記事を書くことになっている。

 

柴犬はかわいかった。自分も面倒を見るからと出まかせを言って両親にペットショップに連れて行ってもらい、1か月程度ごねた末に2か月になる柴犬・リルを買ってもらった。

結局私は雨や習い事を言い訳にして散歩にはほとんど行くことはなかった。それでもボール遊びをしたり、注射の為に病院に連れて行ったり、シャンプーの為にホームセンターに連れて行ったり。

今思うとリルは昔から三半規管が弱かった。ショップから家に初めて連れてきた時をはじめとして しつけ 教室に行くときなども車酔いして吐いてしまっていたし、だから助手席の窓を開けてサイドミラーにもたれさせ、風を浴びてもらいながら車移動をしていた。

 

歯の生え変わりの時期には子犬はよく物を嚙む。だから実家のリビングの壁には今もリルが噛んで回った痕が残っているし、リードに繋ぎ直されるのを嫌がって走り回ったのでフローリングは傷だらけだ。

 

夜遅くに私や両親が帰宅すると、ガレージに車を入れる時に犬小屋から出てきたリルが立ち上がって喜んでくれたものだった。リルは柴犬なのに尻尾が縦巻きではなく、自重でもたげているように横巻きになっているので尻尾をうまく振れないが、それでも数日家を空けた時は帰宅した私を見てもぞもぞと尻尾が動いているのを見て嬉しく思った。

 

家の庭の角にはリルが鼻を真っ黒にしながら頑張って(?)掘った穴があって、夏になるとそこでよく土まみれになりながら涼んでいるものだから、水のお茶碗や虫コナーズやすだれを用意して、”別荘”を作ってやった。あまりに嬉しそうにしていたので何枚も写真が残っていた。

 

実家のリビングと庭の間にはそれなりに高低差があってリルの大きさでは自由に出入りできないからと、足場用に誰も座らないベンチが置かれた。ベンチに乗ったリルは網戸を押し開けて部屋に入ってくることができたので、夏場でも我が家の一つの窓は少しだけ引っかかれすぎてボロボロの網戸*1が露出していたものだった。

ベンチの横にはエアコンの室外機があって、ちょうど昼時にはそこが日向になるので冬場は日向ぼっこしているリルがよく見られた。

 

ああそういえば、冬に部屋の中に入ってきたリルは石油ストーブの”口”からすぐ近くに陣取るので、火に近すぎて燃えないかと肝を冷やしていた。温まったリルは抱っこすると顔の周りがかなり熱いので、定期的にもふもふして粗熱を取るのが楽しかった。

いつだったかの雪の日、庭に数センチの雪が積もった。少しだけならとリルを外に出してやると雪の上でおしっこをしていた。白一面の庭に突然沸いた黄色い点に驚いたのか周囲の雪で隠そうとしているリルが本当にかわいかった。

 

私が小学生の間は毎年夏と冬には祖父の家に泊まるのが定例だったので、いつもリルを連れて行った。母が子供の頃に飼っていた柴犬に重ねたのか、祖父はいつもリルを長時間の散歩に連れ出し、本当にかわいがってくれていた。

 

大学生になって、私は実家を離れた。お盆や正月などに帰省すると喜んでくれるリルを好き放題抱っこして吸いまくっていた。誕生日にはお菓子を山ほど送った。

ボール遊びはほとんどしなくなった。

 

シャンプーの際、耳に水が入って調子が悪いとか、なんだかわからないけど耳の調子が悪いとか、そんな話を母からよく聞いた。でも食欲はあって、耳を触らなければ気持ち良さそうに顎を撫でさせてくれた。

 

コロナもあり昨年の春久しぶりに帰ると、リルが夜寝る場所が玄関からリビングに移動していた。玄関だと落ち着かないらしいが、リビングに電気を付けたままだと眠れるらしい。

 

先週29日の夜、9か月ぶりに帰省をした。リビングのケージの中をまっすぐ歩けなくなっていた。

夏に右の三半規管が悪くなり、その後認知症も発症したらしい。後ろ足はほとんど動いていなくて、前足しか踏ん張れないのでうまく横にもなれず、母が毎晩膝の上で寝かしつけているらしい。

幸い祖父母の家に行く用事しかないので、帰省中の昼間はずっと私が抱いて寝かしつけていた。

年が明けて1月1日の昼、祖母の家でご飯を食べた。ビールが美味しかった。帰宅して見るとリルが眠そうだったので上着だけ羽織って寝かしつけてやったが、私と母が夕食で出かけるためにケージに戻すと寝付けないようだった。

祖父の家で夕食を食べている最中、固定電話が二回鳴った。正月の夜19時前に。

携帯を見ると父から着信が入っていた。かけ直すとリルが死んだことを告げられた。

私は昼に酒を飲んでいたので、母が少し落ち着くまで10分ほど待ってから運転してもらって帰宅して。リルに会った。

顔や胸を撫でるとまだ少し温かくて、でも3時間前に膝にいた時みたいには息をしてくれなかった。瞬きをしてくれなかった。あんなに触られるのを嫌がっていた前脚も、容易く握れてしまった。目を閉じてもらおうとしたけど、既に死後硬直が始まっていて、傷つけずに閉じさせるのは無理そうだった。

動かなくなったのを感じても尚死んだようには見えず、かつての寝床に移してやる時に抱き上げても、体は固まっていて、「ああ、これが死後硬直か」と実感もなく思ってしまう自分が嫌だった。

 

リビングのケージを片付けると、ダイニングテーブルの周りが広かった。朝食で父や母が食べるパンやリンゴをリルが欲しがるので、ぐるっと回れるように通路を空けていたことを思い出した。

どうにも落ち着かなくて、散歩に出た。小学生の頃から友達の少なかった私は友達の家の場所ではなくてリルの散歩のついでにいつものルートを外れて近所の道を覚えたものだった。おかげで近所を歩いてみても”いつもの”草むらや空き地だった場所にばかり自然に目が行った。ド田舎なのに足元にいるリルばかり気にして歩いていたせいで星を見た覚えがほとんどなかった。

いつもの散歩コースを一周して戻ってきたが、家に入るといよいよ戻れなくなる気がして昔々の散歩コースを追加で歩いた。落ち着くかと思って散歩に出たのに、気持ちがざわついて仕方なかった。

帰宅してすぐにお風呂に入って、布団に入った。大きめの柴犬のぬいぐるみを抱いたら、あの温かくて柔らかい感覚が一気に蘇ってきて、でもそれをもう感じられないことを急に理解して、涙が出た。どうにもつらかった。

 

昨日は何をしていたのかもう覚えていない。こたつに入ってテレビを見ていたような気がする。風で後ろからカタッと音がすると反射でリルが来たと思って振り返っていたことに気付いた。

 

今朝、朝一で火葬場に行った。まだ食べられていたパンやお菓子をたくさんあげた。無機質な火葬用の機械の奥に横たわったリルを見て、身近な存在の死に際を初めて知覚した気がした。

収骨の時、自分が何をしているのかわからなかった。竹の箸で脚の骨や肩甲骨や背骨を瓶に収めたけれど、赤みの残った頭蓋骨だけはどうしても触れなかった。

家に戻ってから、金木犀の横に骨を埋めて、いつものお茶碗に水をあげた。

 

 

まだこの現実を受け止められていないけれど、それでも私が帰省しているタイミングで、立ち会えてよかった。

ずっと待っていてくれてありがとう。いっぱい頑張ったね。またね。リル。

 

2022年1月3日

*1:ガラス戸だと爪が滑って開けられないのだ